バタバタしているうちに答申案の中身に入る前で投稿が止まってしまい、もう明日パブコメの〆切となってしまいました。
時間的にもうたくさん盛り込むことは出来ませんし、また個別専門的な箇所は皆さんから意見が出てくると思いますので、脳科学専門家とは違った意見、脳科学コミュニティー内の批判的な意見とも違うものを意図して、まず大括りなところを順次コメントすることにします。
コメント1:脳科学のポジショニングと方向性
これにについて答申案の見解がはっきりしていないのではないか?
社会からの要求は何か、それに対して何がどこまで分かって何が分からないのか、と言うことをまず位置づけることが必要であろう。
そこを明らかにするために、「1.現代社会における脳科学研究の意義と重要性」や「2.これまでの脳科学研究の主な成果」が書かれている必要があるが、今の中間取りまとめでは、出来た成果とその延長線上のことが主に取り上げられており、本当はこれから何をしなければならないのかということ(研究の目標のようなもの)が実のところよく見えてこないつくりになっている。制度の足らないところはよく書かれているようですが。
何が分かっていないのかと言うことをよりはっきりさせるべきであると言うことです。
コメント2:脳科学帝国主義的書きぶりが散見される
全体を通して「脳科学のための脳科学」という印象を強く受けます。
これでは、本答申のキモである融合的、学際的な脳科学の展開は望めないのではないかと思われます。
具体的には例えば、
「Ⅱ−1.脳科学研究が目指すべき方向性」で「脳を理解することは、生命科学的知見に立脚しながら、心を備えた社会的存在として人間を総合的に理解することである。」というのはいかがなものか。「社会的存在として人間を総合的に理解するためには、生命科学的知見に立脚した脳の理解が欠かせない。」と言う方が良いと思います。
「精神・神経疾患への対処について社会から期待が高まっている。」「多数の研究領域が未だ萌芽的な段階に留まっている。」はその通りだと思います。ただ、その後「自然科学としての基盤が脆弱なまま、その技術が拙速に社会へ導入されることがないよう、・・・」の下りは微妙なところです。社会貢献を見据えて基礎研究をいっそう強化することは当然であると思いますが、一方で、社会への導入については自然科学としての基盤が脆弱かどうかは関係なく、その技術が安全で効果があるかどうか倫理的観点も踏まえて導入すべきものは導入していくべきであると考えます。極端な話、今ある様々な(精神・神経疾患以外も含めた)治療法、治療薬に対して、どれだけの自然科学的な基盤があるのかと言う点は甚だ疑問であると思っています。まあ「拙速」という言葉で担保しているような文章ではありますが。
また別の箇所「(1)先端ライフサイエンスとしての脳科学の発展」では、
脳科学研究から得られた新しい生命現象やその基礎となるメカニズムが他分野の牽引力と主張していますが、果たしてそうか?
どちらかというと、他の分野で得られた新しい生命現象やその基礎となるメカニズムが、ライフサイエンスで解明したい未だ広大なフロンティアが残っている脳科学に、今まさに展開できつつある、と言うことを主張すべきではないか?
「(2)異分野融合による新しい学問領域の創出」では、自然科学の対立概念として人文・社会科学がとらえられてきた、というのも表現に問題があるように思います。「対立概念」ではなく「異なる手法を用いてきた」といったところか?
また、「脳科学の大きな目標の一つは「人間存在の理解」にあり、」なども脳科学のための脳科学推進という意識が見え隠れする。
本来、社会が求めることとして「人間存在の理解」があり、その問いに対してこれまで人文・社会科学で進められてきたものに加えて、脳科学が新たな展開をもたらすことが出来るようになってきた、というロジックが正当であるように思われる。
このような「脳科学のための脳科学推進」では、諮問の内容に対しての答申とはいえない。
「脳科学だけではなぜ社会の要求に応えることが出来ないのか」という視点も必要。答申内容には脳科学がすばらしいという見方ばかりが目に付き、それでは融合的、学際的なものは、よく考えるといらないのではないかとでもいえる書きようになっている。
脳科学の専門家が執筆することの重要性は理解するが、諮問にあるより社会のためという観点での脳科学のポジショニングが出来ていないようなので、この点は答申としてよりブラッシュアップしていただいた方が良いと考えます。
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